碓氷峠鉄道文化むら

信越本線の横川−軽井沢間は、19世紀末期から新幹線開業までの間、難所でした。
66.7‰の急勾配のため、1.アプト式ラックレール→2.粘着運転の新線→3.長野新幹線と、
3度も路線が変わりました。
新幹線になる前までは、電車にも特殊な機関車を付けないと走れない特別の区間でした。
現在、1.と2.は廃線となっており、鉄道は3.の新幹線しかありませんが、2.が「特定目的鉄道」
として、廃止から10年後の2007年秋に復活させようとする動きがあるそうです。

2001年9月23日

おぎのや


5年間寝かせておいた写真を公開します。
軽井沢駅までは新幹線で行きました。その後レンタカーを借り、横川駅まで降りてきました。
バスに乗れば良かったと思います。片道500円です。
横川駅前で、おぎのやの峠の釜めしを食べました。天皇陛下御用達だそうです。



2001年9月23日

横川駅


横川駅では、EF63が駐車場の中に置かれていました。
カローラがこんなに小さいと思いませんでした。



2001年9月23日

横川駅


たぶん189系だと思いますが、電車の隣にクルマを置いてみると、潰れる場面を想像してしまいます。
最近の省エネ電車はクラッシャブル構造になっており、電車のほうも潰れるそうです。
国鉄型電車は、見るからに頑丈そうです。



2001年9月23日

横川駅


かなりの線路が取り払われて、駐車場などになっていました。残念な事です。



2001年9月23日

碓氷峠鉄道文化むら


峠のシェルパ・EF63です。横川−軽井沢間専用で、電車との協調運転をする為に
特殊な機器を沢山装着しています。時速38km/h以上出ると非常ブレーキが掛かるそうですし、
オモリも付いています。

この機関車は、実際に運転する事ができます。教習・訓練を受ける事もできます。
50回運転すると「本務機関士」腕章が貰え、推進運転や重連運転、連結をさせてもらえるそうです。

また、この機関車は現在、茶色ではなく青と肌色の上の写真のような塗装になっているそうです。



2001年9月23日

碓氷峠鉄道文化むら


DD51の1号機です。DD13みたいなデザインだと思います。



2001年9月23日

碓氷峠鉄道文化むら


キハ20です。
これに似た2エンジン車、キハ52が大糸線のJR西日本区間と、盛岡支社管内で走っています。



2001年9月23日

碓氷峠鉄道文化むら


形式名は忘れましたが、電気機関車の運転台です。
国鉄型の電気機関車の運転台は、どれも同じに見えてしまいます。



2001年9月23日

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奥のEF53は、戦前には特急列車なども牽いていたそうですが、
戦後は山陽本線瀬野−八本松間の急勾配区間の補助機関車としてEF59に改造されたそうです。
この2台の機関車は、どちらも峠の補助機関車だったようです。



2001年9月23日

碓氷峠鉄道文化むら


このEF30は、九州が交流60Hzで電化された時、関門トンネルに直流と交流のデッドセクションが
設置されたために造られた交直両用の電気機関車です。
海底トンネルの塩害を防ぐため、車体がステンレスでできています。



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